財津 正人さん プロフィール

【ざいつ まさと】

株式会社イーセット  代表取締役
ブッククロッシング・ジャパン代表

出版取次大阪屋、書店経営、印刷営業会社を経て、出版社書店営業代行「ブックレインボー」を開業。
2007年、ブッククロッシング・ジャパン設立。

版元・取次・書店出版三者すべての経験に印刷知識と読者としての視点を加味した出版総合コンサルティング会社を目指す一方、本と読書をより身近なものに し、その楽しさを感じていただくため、広島において「お好み本ひろしま2009」「ブックスひろしま2010」の広島初のブックフェスティバル実行委員長を務める。

 株式会社イーセットより抜粋

インタビュー(著者と読者を結ぶ架け橋)

インタビュアーは、2010年より著書「消えた横浜娼婦たち」でブッククロッシングの仕組みを使って「著者自身による本の追跡プロジェクト」を展開中の檀原照和さんです。ライターの立場から「本のある生活~本活のすすめ~」を読まれて、どのような感想を持たれたのか、また普段から本を取り巻く世界をどのような思いで見つめて来られたのか、独特な鋭い視点からの切り口でボスに迫ります。
 

(プロフィール)

記録文学作家。

1970年、東京生まれ、法政大学卒業。2006年「ヴードゥー大全」の出版を機に執筆活動を始める。

他の著作に「消えた横浜娼婦たち」(2009 年)。

   
・・・檀原照和さん
・・・財津正人さん
   
地方に行くと、国道沿いのショッピングモールに設けられた郊外型書店しかない町が結構あるように思えます。こうした郊外型の書店は、何割くらいを占めるのでしょうか? というのも、一時期流行った「Deep Love」のようなケイタイ小説は、郊外店を中心に売れていると聞いたことがあるからです。郊外型店舗は、都心の書店とは、明らかに売れ筋が違います。郊外型店が増えたことで、書店や出版業界は、どう変わってきたのでしょうか?

いわゆる「郊外型書店」とよばれる形態が出てきたのは、もう20数年前です。
正確にはもっと前でしょうけれども「目立って増えてきて、なんらかの影響が出始めてきたのが」とご理解ください。私が書店を畳んだのも、その影響の一環だったともいえます。何割を占めるのかは、まったくわかりませんが、

  ・書店件数は減少している中
  ・売り場総面積は微増している
ということからも、一書店あたりの売り場面積は、増えているといえます。

郊外型書店が増えてきたことで出版業界が変化してきたというよりも、
 ・出版にかかわる利益が減少してきたことで、
一書店の巨大化が自然と進んできたと言えると私は思っています。

具体的には、流通システムの変化です。
こまめにたくさんの「町の書店」へ届ける経費と、一気に巨大な書店へ届ける経費では、後者のほうが安くつくということです。


また、本を届ける「配本」でも仮に2冊ずつ30書店へ配れば60冊がとりあえず消化されます。一方、大きな郊外型書店へ60冊送っても「売上」という面では同じですが、かかる経費、また、返品にかかる経費も変わらない。返品率4割とすれば24冊はまた返されるという事実に、かかる経費は、前者のほうが大きいわけです。


そのような理由からも
 ・書店事情が変わってきて、それに沿うように 郊外型書店が出てきた

と言えます。

超高齢化社会がやってきます。書店や出版業界はどう変わっていくでしょうか?

予測不可能ではありますが、考えられる範囲でお答えします。

まず、書店は退職に伴い正社員がもっと少なくなり、バイト、パートが大半を占めます。現状の形で考えると、業務内容や給与体系など、町の書店での勤務だけを考えると、かなり厳しい状況が加速すると言わざるをえないです。

一方、業界全体では、同じように正社員は減少し、契約や外注構成がもっと増えてきます。暗い面で言えば保証がなくなってくる。逆な面で言えば、学歴などよりも実力や誠実さで仕事を獲得する者のチャンスが増えてくると思います。

 

当然といえば、当然なのですが、高齢化社会によってではなくとも時間の経過につれて売れる書店とそうでない書店の差が顕著に出てくると思います。

買い物帰りに立ち寄れる「商店街の小さな書店」が、どんどん減っています。
今後、「町の本屋さん」の役割を古書店が担うことは可能でしょうか?

ここで言われる「町の本屋さんの役割」を仮に「情報の発信基地」とするならば、 もう少し古書店側の意識改革が必要かと思います。
一般の方が感じておられるものと比べて、古書店と新刊書店の各々の認識の差は、意外なほど大きいなというのが今私が感じている正直な感想です。

 

一方、「本のある生活」にも書きましたが、大阪の「天牛堺書店」は、40年以上も前から新刊書店店頭で古書を扱っており、むろん、今現在も継続しています。
典型的「町の書店・本屋さん」を想像してもらえばよいかと思います。

 
では、なぜ、それが今もなお継続しているのか?
答えはいくつかあるかと思いますが、商売として成り立っているからでしょう。

この観点からいえば、古書店が町の本屋さんの役割を担うことが可能か?と考えれば、言い換えれば 「古書店が新刊書店に対して、魅力を感じることができるのか?」という質問に換えられます。とすれば、現時点では、かなり難しいと言えます。

また、古書店という形態をまったく変えずにこれまでの「町の本屋さん」が担ってきた町の「情報発信基地」としての「場所」になろうとすれば、まず、古書店側の考え方の変化を促すしかないです。ただ、現実は常に厳しく、たとえば、新潟市内では
すでに古書店が全くなくなってしまったというような局面を今、迎えています。

そんな中、突破口があるとすれば、受け手、読者の方が古書店に「情報基地」としての意義を求めていく、というカタチがもっとも現実化しやすいかと思っています。

御著書「本のある生活」の中で、「情報伝達の手段の本しか電子書籍の媒体にならないんじゃないか」と書いていらっしゃいますが、では、紙媒体に留まり続けるであろう文芸書はどうなっていくのでしょうか?
電書が普及していく過程で、特別な人たちだけが手に取る特別なものになっていくのでしょうか?

文芸書・小説と言っていいかと思いますが、仮定として電子書籍(私はこの名称そのものに大反対なのですが、ここでは省きます)が、仮に市場を形成した場合、その市場に向けた「小説」が書かれる可能性は大いにあります。 私は小説を書かないので、イメージしかありませんが、「電子書籍として読まれるという前提の作品」として作家のみなさんは書いていないと思っています。

 

どのようなことでもそうですが、発表のステージや場面などで各クリエーターの手法が違ってくるような気がしてならないのです。考え方は、2つあります。

 「その電子書籍用の小説を書いて、市場を形成する」

 「市場ができれば、その電子書籍用の文芸作品を書き上げる」

です。


今は、いわゆる電子書籍がまったく市場をなしていないので、そのどちらも現実的には難しくて、これまでの小説を電子化する、または、同じ作品を紙媒体、電子媒体の双方で発表するという形が先行している状況だと思います。ですので、質問にあるような「電子が普及する~」という意味が仮に「電子書籍市場がある」ということであれば、自然と電子書籍用の「文芸作品」が生まれているということになっている、というのが私の考えです。

図書館の有料化論議、あるいは千代田図書館のような従来の図書館と大きく異なる図書館が話題になるなど、図書館でも大きな動きが生まれています。
日本では書店や出版社と図書館との間に何か越えがたい距離があるような気がするのですが、今後、この距離感は変わっていくのでしょうか?

3つめのご質問内容と同じ問題がここにもあります。
書店、出版社、そして、図書館という各々がどこまで本気で歩み寄れるのかということがあります。いわば「歩み寄りたい、歩み寄らなければいけない」という危機感を切実に覚えれば、案外簡単にこの距離感はなくなります。そこまでいくのにこれまでかかってきた時間をどのような具体的な形で持っていくのかです。

一つの例として、ブックスひろしま2011では、広島県立図書館が協賛として名を連ね、このイベントでは、一方、地元の新刊書店チェーンさんも参加してくださいます。いわば、舞台としてこのイベントがどこまで効果があるのかは、まったくの未知ですが、きっかけとすれば、このようなことは簡単に用意できるわけです。

あとは、各々の意識でしょう。それがとても難しいのです。

「青空文庫」のお陰で、ネットの世界では古典に注目が集まっています。この流れを紙媒体に反映させることは難しいでしょうか?

青空文庫の活動は長期にわたっており、まず、その継続に敬意を表します。

まず、古典のへの回帰という点では、紙媒体でいえば 「ジャケット(表紙)」に注目が集まり、太宰治「人間失格」などが人気漫画家で描かれたりして、販売部数を急激の伸ばしてきたことがあります。ほかにも、たくさんの例があります。古典=既刊書籍、という風に捉えれば、今後もいろいろな試行ができるかと思います。

レコード会社のように海外の出版社が日本に進出したとします。現地法人をつくり、日本人の編集者や営業マンを雇い、直販で読者に本を売った場合、うまくいくでしょうか?
紙の場合と電書の場合、それぞれのケースについてお考えを教えてください。

「直販」とあるので、取次に関しては、考えないでおきます。

また、質問の趣旨により「日本語以外の本」と考えた場合、現在の日本人の意識からいえば、かなり厳しいと思います。こういう試行錯誤が多く、必要な場合ほど電子の世界でのチャレンジが有効かと思います。

電子書籍には、ePubやXDMFのような汎用フォーマットと単体のアプリ形があります。つまり多少マルチメディア的な要素を挿入することが出来ても、あくまでも既存の本に近い形とアプリケーションとして、かなり自由なことができるものとに二分されます。この両者は流通の仕方も違いますが、どちらを支持されますか?

あるいはどちらが主流になると思いますか?

今、電子書籍が衰退しはじめているのは、おっしゃるように二分されているからというのがその要因のひとつかと思います。ですので、後者のアプリケーションとしてかなり自由なことができるかもしれないという方向に絞り、「これは、すでに本ではない」との視点と切り口で市場を作っていくという道しか残されていないと思います。

世界はどんどん狭くなっています。電書が普及することで、海外の本を日本で入手したり、日本の本を海外在住の方が入手することが、手軽になることが予想されます。その際、国境の壁を越えた作家の活躍も期待されると思いますが、日本語やモンゴル語のような特定民族の間でのみ通用する言語の作品は、どうなっていくでしょうか?
長い目で見た場合、欧米系の作品に押されて徐々に淘汰されていくのでしょうか?

今現在も、海外の本(ここでは、紙媒体)を、日本に輸入して購入するというのは、案外ハードルが高い(その逆も含めて)状況なのは、ご存じの通りです。ですが、ここでの質問は、たとえば、日本語のまま、モンゴル語のままであればということかと思いますが、そうであれば、そのことだけが理由で徐々に淘汰されていくということはないかと思います。

 

世界人口の比重と同様に英語での理解がされることが不可欠ですので、日本語作品が英訳されることで、その壁がこれまでと同様に解消されていきます。

「訳する」「英語を話せる」という概念を捨てる、とすれば日本語のみならず、日本人が世界に通用することは、しばらくないでしょう。

「デジタルへの移行」という文脈の中で、出版業界と音楽業界は比較されることが多いと思います。しかしCDやDVDを使って「ブッククロッシング」や「ブクブク交換(twitter発の本の交換会)」のような活動をしている例を寡聞にして知りません。本と音楽で何が違うのでしょうか?


一方、本のソムリエ、本棚をプロデュースする「ブックコーディネーター」 など、ストア・イン・ストア的な動きもありますが、これは日本独自の展開でしょうか?

まず、おっしゃるように、とても比較される業界ですね。文化という面ででしょうけれども、映画とはあまり比較されないのも面白いところです。

ここで、おっしゃる活動というのは、ブクブク交換会にしてもブッククロッシングにしても、また、全国で行われているブックイベントにしても「リアル世界」「人」という実世界での活動と言えます。


質問の中での活動という定義を上記のように定義した場合、出版業界と音楽業界の今現在の活動において、違いが出ている理由として

 ・データ化の進行具合

があります。これまでの質問にありました「電子書籍」というものが、現在形になっていないということが、大きな要因になっています。
逆に言いますと、音楽は「電子化」が確立されているということです。
(それによる違法なDLなどの問題は、ここでは触れません)

 

その様な点で考えますと、二つ言えます。
一つは、音楽業界でいいますと、
 ・CDやMD、そしてレコードなどの「媒体」が、すでに過去のものとなってきて
  いる。(CDはまだこれからですが、遅かれ早かれデータでの販売が主になる
  ことは確実です)

 

ですので、音楽への切り口を変えて、「遊ぶ」(ブッククロッシングやブクブクのように)ことがとても難しい状況だということです。
ともすれば、完全なレトロ、懐古趣味となってしまって、遊びとしての魅力を感じない特定の趣味の世界になってしまうのではないかと考えます。
ジャズの世界のレコードの扱いがそうですね。

一方、出版界で考えますと、その電子化がまだカタチをなしていないので、今の媒体、いわゆる「紙」媒体が主流、というか、ほぼすべてであるということが言えるのです。

  
そういう意味では、音楽の世界でも「レコードの交換会」が遊びとして行われている可能性は高いとは思いますが、すでに、それが主流の媒体ではなくなってしまっているので、ほんのごく一部の方だけが参加しているということで、私達へは情報としては、あまり入ってこないのだろうと考えています。

最後の質問ですが、これは、まったくの逆かもしれないです。ある産業に様々な業種を付加させるというのは、海外の考え方が大きいような気がします。
いわゆる「ブックコンシェルジュ」のようなものもそうです。


また、出版する際の「ブックエージェント」は、アメリカの仕事が日本に入ってきた形です。代理人という考え方ですね。本のソムリエ、本棚をプロデュースする「ブックコーディネーター」 というような今、派生してきている仕事が、各々の業務として、仕事として確立していくならば、喜ばしいことと思っております。

ただし、質問の前半でお答えしたような町の書店の店主は、このような役割も自然と兼ねていたことは確かです。そして、業界の流れで否応なしにバイトやパートさんが中心となり、店を運営せざるを得ない中、本の選定やアドバイスまでもできるようになるように強いることは、対価の報酬の考え方から外れてしまった。ですので、自然と、その業務を専門に受ける「専門家」が、今、生まれ始めてきているということかと思います。